あかねやん国。
大したコトない日常を割と感動的につづります
大楠を見にいこう!
- 2021/05/31 (Mon)
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ひょ~=3 でけ~。
夫婦檜(めおとひのき)だって。
縁結びのご利益があるのか~。
つーわけで。
無事桜山リベンジを果たした後、N島さんとやって来たのは・・・
武雄神社だ~!!
せっかくだから、来たついでに大楠を見て帰ろうという事になったのだ。
武雄には川古の大楠(3年前にセンちゃんと行ったトコ)、武雄の大楠、塚崎の大楠という
三大大楠があるのだ。
立派な石垣を望みつつ早速境内の方へ・・・
立派な本堂だ。
エ~ナニナニ。
ひゃ~、今年で1285年になるのか。歴史ある神社なんだ~。
この歩射祭(びしゃまつり)という神事も当初から現在までずーっと行なわれてるんだ。
ス・ゲ~=3=3=3
武雄神社の歴史の深さにたまげながら、いざ!
コロナ禍だけどやはり観光客はまあまあいるね。
いやむしろコロナ禍だからこそ乗り越えるパワーを授かりに訪れてるのかもしれない。
まあこんだけ開放的な場所だもんね。
コロナ貰いようもないだろう。
気持ちのいい竹林を抜けると・・・
見えてきた見えてきた!
武雄の大楠だ!
でけ~!
(何気にこんなトコにもオルレの赤青リボンが・・コワイ・・・)
推定樹齢3000年~!!
徐福さんが佐賀に来たのが確か2200年前だから
それより800年も年上なのか~。
全国第六位の巨木なんだって。(川古の大楠は第五位)
根元の空洞は12畳分。
あかねやの半分くらいがこの中に入るのか~=3
つーわけで。
シッカリパワーをもらい、お次は・・・
武雄神社を出て向かいの武雄市文化会館の方へ!
次ナル大楠・・・
塚崎の大楠だ~!!
いざIN!
これまた気持ちのいいなだらかな山道をテクテク進むと・・・
この辺りの主のような風格で一番奥に鎮座してるのが見える。
うひょ~。これまたスゴイなぁ。
角度を変えて右の方からも。
ス・ゴ・イなぁ~=3=3=3
比較のためN島さんに入ってもらうとこんな感じだ。
佐賀県内ではさっきの武雄の大楠に次いで第三位の巨木なんだけど、
全国では53位なのだそうだ。
昭和38年の落雷で本幹の上側が焼失してしまったそうなので、
それがなければもっとすごかったことだろう。
とはいえ、こいだけでもなかなかの迫力だ。
ココでもパワーをいただき、再び文化会館の方へ。
奥の方に立派なイチョウが色づいている。
誘われるがままにフラフラと近づいていくと・・・
手前にはかつての武雄領主鍋島茂義の銅像も。
先見の明のある俊才で、
名君として名高い後の佐賀藩主鍋島直正の
教育係を務めたこともある人物だ。
積極的に蘭学等西洋文化を取り入れ、
長崎の高島秋帆にも師事し「砲術御皆伝」を許され、
佐賀藩、ひいては日本の近代化への陰の立役者となったのだそうだ。
でもってイチョウはというと・・・
ひゃ~=3
近くで見るとまた立派だなぁ。
武雄鍋島家の家紋が ”抱き銀杏” とあるから
それにちなんで植えられてるのだろうか?
おや?茂義像との間になんか道があるぞ。
「N島さん。この道、方向的にはまた武雄神社に戻れる道じゃあないですかね。
行ってみましょうよ。」
N「怪しいなぁ。行き止まりやったらまた戻って来んといけんやろ。
疲れとるから俺は確実に来た道を戻る。」
およそN島さんらしくない発言だ。
よっぽど疲れておられるのだろう。
つーわけで、別れて僕だけ探険!
テクテクなだらかな丘を上っていくと、古めかしい門所。
どうやら市民文化会館含め、かつては武雄領主の庭園だったらしい。
そっから下っていくと、向こうに道が!
ヨカッタ。行き止まりじゃあなくて。
やはり思ったとおり。武雄神社前の道に出てきた。
(この道の先が武雄神社)
つーわけで。武雄神社に向かって真っ直ぐ歩いていこう。
ちなみに左手に平行している舗装されてない道。(杭で囲われたトコ)
これは馬場で、これまた武雄神社で800年以上も続く神事
「武雄の流鏑馬」のための道なのだ。
毎年10月23日に行なわれているそうだ。
でもって無事、武雄神社に到着~!!
N島さんよりずいぶん早く着いた。
N島さんも来ればヨカッタのに。。。
ちなみに今回の経路。
この地図見てから始めて気付いたけど、
すぐそばに有名な武雄市立図書館(ツタヤが運営してるヤツ)が
あったんだね。
寄ればよかった。。。
おちまい
夫婦檜(めおとひのき)だって。
縁結びのご利益があるのか~。
つーわけで。
無事桜山リベンジを果たした後、N島さんとやって来たのは・・・
武雄神社だ~!!
せっかくだから、来たついでに大楠を見て帰ろうという事になったのだ。
武雄には川古の大楠(3年前にセンちゃんと行ったトコ)、武雄の大楠、塚崎の大楠という
三大大楠があるのだ。
立派な石垣を望みつつ早速境内の方へ・・・
立派な本堂だ。
エ~ナニナニ。
ひゃ~、今年で1285年になるのか。歴史ある神社なんだ~。
この歩射祭(びしゃまつり)という神事も当初から現在までずーっと行なわれてるんだ。
ス・ゲ~=3=3=3
武雄神社の歴史の深さにたまげながら、いざ!
コロナ禍だけどやはり観光客はまあまあいるね。
いやむしろコロナ禍だからこそ乗り越えるパワーを授かりに訪れてるのかもしれない。
まあこんだけ開放的な場所だもんね。
コロナ貰いようもないだろう。
気持ちのいい竹林を抜けると・・・
見えてきた見えてきた!
武雄の大楠だ!
でけ~!
(何気にこんなトコにもオルレの赤青リボンが・・コワイ・・・)
推定樹齢3000年~!!
徐福さんが佐賀に来たのが確か2200年前だから
それより800年も年上なのか~。
全国第六位の巨木なんだって。(川古の大楠は第五位)
根元の空洞は12畳分。
あかねやの半分くらいがこの中に入るのか~=3
つーわけで。
シッカリパワーをもらい、お次は・・・
武雄神社を出て向かいの武雄市文化会館の方へ!
次ナル大楠・・・
塚崎の大楠だ~!!
いざIN!
これまた気持ちのいいなだらかな山道をテクテク進むと・・・
この辺りの主のような風格で一番奥に鎮座してるのが見える。
うひょ~。これまたスゴイなぁ。
角度を変えて右の方からも。
ス・ゴ・イなぁ~=3=3=3
比較のためN島さんに入ってもらうとこんな感じだ。
佐賀県内ではさっきの武雄の大楠に次いで第三位の巨木なんだけど、
全国では53位なのだそうだ。
昭和38年の落雷で本幹の上側が焼失してしまったそうなので、
それがなければもっとすごかったことだろう。
とはいえ、こいだけでもなかなかの迫力だ。
ココでもパワーをいただき、再び文化会館の方へ。
奥の方に立派なイチョウが色づいている。
誘われるがままにフラフラと近づいていくと・・・
手前にはかつての武雄領主鍋島茂義の銅像も。
先見の明のある俊才で、
名君として名高い後の佐賀藩主鍋島直正の
教育係を務めたこともある人物だ。
積極的に蘭学等西洋文化を取り入れ、
長崎の高島秋帆にも師事し「砲術御皆伝」を許され、
佐賀藩、ひいては日本の近代化への陰の立役者となったのだそうだ。
でもってイチョウはというと・・・
ひゃ~=3
近くで見るとまた立派だなぁ。
武雄鍋島家の家紋が ”抱き銀杏” とあるから
それにちなんで植えられてるのだろうか?
おや?茂義像との間になんか道があるぞ。
「N島さん。この道、方向的にはまた武雄神社に戻れる道じゃあないですかね。
行ってみましょうよ。」
N「怪しいなぁ。行き止まりやったらまた戻って来んといけんやろ。
疲れとるから俺は確実に来た道を戻る。」
およそN島さんらしくない発言だ。
よっぽど疲れておられるのだろう。
つーわけで、別れて僕だけ探険!
テクテクなだらかな丘を上っていくと、古めかしい門所。
どうやら市民文化会館含め、かつては武雄領主の庭園だったらしい。
そっから下っていくと、向こうに道が!
ヨカッタ。行き止まりじゃあなくて。
やはり思ったとおり。武雄神社前の道に出てきた。
(この道の先が武雄神社)
つーわけで。武雄神社に向かって真っ直ぐ歩いていこう。
ちなみに左手に平行している舗装されてない道。(杭で囲われたトコ)
これは馬場で、これまた武雄神社で800年以上も続く神事
「武雄の流鏑馬」のための道なのだ。
毎年10月23日に行なわれているそうだ。
でもって無事、武雄神社に到着~!!
N島さんよりずいぶん早く着いた。
N島さんも来ればヨカッタのに。。。
ちなみに今回の経路。
この地図見てから始めて気付いたけど、
すぐそばに有名な武雄市立図書館(ツタヤが運営してるヤツ)が
あったんだね。
寄ればよかった。。。
おちまい
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