あかねやん国。
大したコトない日常を割と感動的につづります
高田ブラブラ(後編)
- 2021/05/12 (Wed)
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←(前編)はコチラ
手作りの家(?)にビビって天満宮公園を後にした僕。
そのまま自転車こいで帰路を進んでたら・・・
おや?何だアレは?
左の脇道の奥に何か見えるぞ。
自転車を停めてよーく見ると・・・
やや!? アレは鳥居じゃあないか?
も、もしかして~!
鳥居の方へ行ってみると・・・
あ~!やっぱり!!
天満宮ってなってる~!!!
今まで天満宮公園行くたんびに思ってたんだよね。
肝心の ”天満宮” ってドコにあるんだろ?って。
ココにあったのか~。
せっかくだから寄ってみようっと=3
なかなかシャープな参道だ。
天満宮ということで、菅原道真を祀ってあるのだそうだけど、
長与町の町花、町木が梅なのはソレに由来するのだろうか?
ふぅふぅはぁはぁ=3=3=3
数えてなかったけど何段あるんだろう。
まあまあキツイ~。。。
参道脇には石碑が落ちてる。
そんなに古いものでもないようだけど、いつから落ちてるんだろ?
階段を上りながら見上げてみると・・・!?
あ~!どうやらさっきの石碑の台座のようだ。
上まで行って見てみると
やはりココにあった石碑と思われる。
つーことはこっから転げ落ちたのか。
もしかしたらこれもこん前の台風被害なのかもしれないなぁ。
・・・しかし台風からもうカレコレ2ヵ月経ってるよ。
いやいやさすがに2ヵ月間も放置はないよね~。
修理のメドは立たないにしても石碑の回収はすぐできるんだから。
(今僕がやってもいいくらいだ)
つーことは、台風じゃあなくてごく最近何らかの原因で落ちたのかもしれない。
まあなんにしても。
学問の神様祀ってて、モノが落ちっぱなしはマズイだろうけど。。。
コレは撫で牛かな?
そいえば以前訪ねた丸山の梅園天満宮や、
今年参った松森天満宮にもあったなぁ。
撫で牛。
天満宮と撫で牛ってセットなのかな?
と思って調べてみると・・・
なんでも大宰府に左遷された道真が亡くなった時、
牛車で亡き骸を運ぶ最中にある場所で牛が動かなくなったので、
コレは道真公の御遺志だと判断しソコに亡き骸を埋葬したのだそうだ。
その上に社殿が建てられ大宰府天満宮になったのだそうだ。
また、 一頭の白牛が菅原道真を暗殺から救ってくれた逸話もあり、
更には、道真が生まれた年(845年)が乙丑(きのとうし)、
そして命日である903年2月25日は丑の日と、牛に縁があるというコトで
牛が道真を祀る天満宮の神使となったのだそうだ。
ちなみに四柱推命だと乙丑生まれは努力家で忍耐強いのだそうだ。
つーわけで。
社殿をグルリ。
左手奥の方にも道らしきものが見えるぞ。
と思ったら、立入禁止になってた。
社殿右手奥にも何やら・・・
と思ったら、これまた立ち入り禁止。
いったい何があるのだろうと気になったけど・・・
なんか位置的に、さっき手作りの家(?)の辺りじゃあないのか?
つーことは神社の方の小屋だったのかもしれない。
ヨカッタ~=3
ズケズケ見にいかなくて。
さてさて。
社殿の脇の方へ行くと、コチラは車用の参道だ。
テケテケ下っていくと・・・
こんなトコに案内板が。
ひえ~。
この辺りってかつてはお城だったんだ。
この図からすると、さっき見た切通しは
西高田城の堀切だったようだ。
中尾城公園といい、ココといい、
長与ってお城があちこちにあったんだなぁ。
確かに大村湾もあるし、湾から程好く奥まってるし。
大村湾挟んで向かい側にはかつての大荘園である彼杵の荘もあったし。
当時はかなり栄えてたのかもしれない。
ちょっと長与の歴史にも興味が出てきたぞ。
つーわけで。
ちょっと得した気分になりながら参道入口のあかねやん号へ。
やっぱ秋の散策は楽しいなぁ。。。
おちまい
To Be Continued \\\
手作りの家(?)にビビって天満宮公園を後にした僕。
そのまま自転車こいで帰路を進んでたら・・・
おや?何だアレは?
左の脇道の奥に何か見えるぞ。
自転車を停めてよーく見ると・・・
やや!? アレは鳥居じゃあないか?
も、もしかして~!
鳥居の方へ行ってみると・・・
あ~!やっぱり!!
天満宮ってなってる~!!!
今まで天満宮公園行くたんびに思ってたんだよね。
肝心の ”天満宮” ってドコにあるんだろ?って。
ココにあったのか~。
せっかくだから寄ってみようっと=3
なかなかシャープな参道だ。
天満宮ということで、菅原道真を祀ってあるのだそうだけど、
長与町の町花、町木が梅なのはソレに由来するのだろうか?
ふぅふぅはぁはぁ=3=3=3
数えてなかったけど何段あるんだろう。
まあまあキツイ~。。。
参道脇には石碑が落ちてる。
そんなに古いものでもないようだけど、いつから落ちてるんだろ?
階段を上りながら見上げてみると・・・!?
あ~!どうやらさっきの石碑の台座のようだ。
上まで行って見てみると
やはりココにあった石碑と思われる。
つーことはこっから転げ落ちたのか。
もしかしたらこれもこん前の台風被害なのかもしれないなぁ。
・・・しかし台風からもうカレコレ2ヵ月経ってるよ。
いやいやさすがに2ヵ月間も放置はないよね~。
修理のメドは立たないにしても石碑の回収はすぐできるんだから。
(今僕がやってもいいくらいだ)
つーことは、台風じゃあなくてごく最近何らかの原因で落ちたのかもしれない。
まあなんにしても。
学問の神様祀ってて、モノが落ちっぱなしはマズイだろうけど。。。
コレは撫で牛かな?
そいえば以前訪ねた丸山の梅園天満宮や、
今年参った松森天満宮にもあったなぁ。
撫で牛。
天満宮と撫で牛ってセットなのかな?
と思って調べてみると・・・
なんでも大宰府に左遷された道真が亡くなった時、
牛車で亡き骸を運ぶ最中にある場所で牛が動かなくなったので、
コレは道真公の御遺志だと判断しソコに亡き骸を埋葬したのだそうだ。
その上に社殿が建てられ大宰府天満宮になったのだそうだ。
また、 一頭の白牛が菅原道真を暗殺から救ってくれた逸話もあり、
更には、道真が生まれた年(845年)が乙丑(きのとうし)、
そして命日である903年2月25日は丑の日と、牛に縁があるというコトで
牛が道真を祀る天満宮の神使となったのだそうだ。
ちなみに四柱推命だと乙丑生まれは努力家で忍耐強いのだそうだ。
つーわけで。
社殿をグルリ。
左手奥の方にも道らしきものが見えるぞ。
と思ったら、立入禁止になってた。
社殿右手奥にも何やら・・・
と思ったら、これまた立ち入り禁止。
いったい何があるのだろうと気になったけど・・・
なんか位置的に、さっき手作りの家(?)の辺りじゃあないのか?
つーことは神社の方の小屋だったのかもしれない。
ヨカッタ~=3
ズケズケ見にいかなくて。
さてさて。
社殿の脇の方へ行くと、コチラは車用の参道だ。
テケテケ下っていくと・・・
こんなトコに案内板が。
ひえ~。
この辺りってかつてはお城だったんだ。
この図からすると、さっき見た切通しは
西高田城の堀切だったようだ。
中尾城公園といい、ココといい、
長与ってお城があちこちにあったんだなぁ。
確かに大村湾もあるし、湾から程好く奥まってるし。
大村湾挟んで向かい側にはかつての大荘園である彼杵の荘もあったし。
当時はかなり栄えてたのかもしれない。
ちょっと長与の歴史にも興味が出てきたぞ。
つーわけで。
ちょっと得した気分になりながら参道入口のあかねやん号へ。
やっぱ秋の散策は楽しいなぁ。。。
おちまい
To Be Continued \\\
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